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成都旅行H24.3.17⑳武侯祠:関羽他

次の写真は蜀の関羽です。
 
三国志で非常に人気のある武将の一人ですね。
関羽は忠義にあつく文武両道です。
 
特に曹操に一時身を置いてから劉備の所に戻るシーンが印象的ですね。
 
最後は呉に殺されてしまいます。
 
今は商売の神様としても祀られています。
 
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関 羽(かん う、? - 建安24年(219年)12月[1])は、中国後漢末期の武将。字は雲長(うんちょう)。
元の字は長生。司隷・河東郡解(現在の山西省運城市常平郷常平村)の人。
子に関平関興。孫に関統・関彝。
三国時代の蜀(蜀漢)の創始者である劉備に仕えた武将。
その人並み外れた武勇や義理を重んじる人物は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。
後漢から贈られた封号は漢寿亭侯、諡は壮繆侯(または壮穆侯)だが、
諡号は歴代王朝から多数贈られた。
悲劇的な死を遂げたが、後世の人間より神格化され関帝(関聖帝君・関帝聖君)となり、
47人目の神とされた。信義に厚い事などから、現在では商売の神として世界中の中華街で祭られている。
そろばんを発明したという伝説まである。
三国志演義』では、「雲長、関雲長或いは関公、関某と呼ばれ、
一貫して諱を名指しされていない」、「大活躍する場面が壮麗に描かれている」など、
前述の関帝信仰に起因すると思われる特別扱いを受けている。
見事な鬚髯(鬚=あごひげ、髯=ほほひげ)をたくわえていたため、
三国志演義』などでは「美髯公」などとも呼ばれる。
 
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次の写真は関羽の子「関興」です。
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次の写真は関羽の子「関平」です。
最後は関羽と共に呉に殺されます。
 
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次の写真は関羽の右腕「周倉」です。
史実では登場しないので「三国志演義」に登場する架空の人物のようです。
 
三国志演義では関羽曹操のもとをさり劉備の所に向かう途中に
山賊の棟梁だった「周倉」を配下にしました。
武力に優れています。
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下記の写真は劉備の孫らしいですがよくわかりません。
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