昼食のあとホテルで少し休息をとりアンコールワットの観光に出発しました。
アンコールワット~WIKI~
遺跡群を代表する寺院建築。
大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、
カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。
主に砂岩とラテライトで築かれ、西を正門とする。 寺院は付近の製鉄技術を活用している。
境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅190メートルの濠で囲まれている。
神聖な場所を飾るため、回廊は精緻な薄浮き彫りで埋め尽くされている。
西からの参道は540メートルにおよび、砂岩のブロックが敷かれた延長239メートル、
幅12メートル、高さ4メートルの土手道で環濠を渡って進む。
この砂岩が敷かれた陸橋はかつて乳海攪拌の様子を描いた蛇神ナーガの欄干で縁取られていたというが、
今は堀に落ちており見られない。中程には石段の船津が備えられている。
土手道を渡り終えると周壁と西大門へ至る。
周壁は東西1,030メートル、南北840メートルでラテライトにより築かれている。
西大門は南北230メートルほどで、三塔を戴き、中央に王の門と左右に2つの門が開く。
さらに南北には階段がなく、ゾウが通れる象門を2つ備える。
王の門の左右は7つの頭を持つ蛇神ナーガが護っており、
付近の堀は石段の船津を備え、ラテライトの壁で護られている。
西大門を抜けると、大蛇の欄干に縁取られた参道を通り前庭を進む。
前庭は南北にそれぞれ経蔵と聖池があり、参道から外れると聖池はその水面に堂宇を映し出す。
また北には、今もここで仏に祈りを捧げる僧侶らのために、僧坊が近年になって建てられた。
前庭を越えると三重の回廊に囲まれ5つの祠堂がそびえる。
第一回廊は東西200メートル、南北180メートルで、多くの彫刻が施されている。
左から攻めるパーンダヴァ族と右から攻めるカウラヴァ族の軍が細かく描かれている。
西面北には、『ラーマーヤナ』の説話が幾つかあり、
特にラーマ王子と猿がランカー島で魔王ラーヴァナと戦う場面が大きい。
ここの王子の顔は建立者のスーリヤヴァルマン2世を模しているという。
南面西は「歴史回廊」と呼ばれ、行幸するスーリヤヴァルマン2世とそれに従う王師、大臣、将軍、
兵士などが彫られている。南面東は「天国と地獄」と呼ばれ、上段に天国へ昇った人々、
中段に閻魔大王らとその裁きを待つ人々、下段に地獄へ落ちた人々が彫られている。
地獄では痛々しい刑が行われており、また下段から中段に逃れようとする罪人も見られる。
東面南は乳海攪拌の様子が彫られ、神々と阿修羅らが大蛇ヴァースキを引き合ってマンダラ山を回し、
海を混ぜている。東面北と北面は後の16世紀頃にアンチェン1世が
彫らせたと考えられており、他とは彫刻の質が異なっている。
ヴィシュヌ神の化身クリシュナが怪物バーナと戦う場面が描かれている。
第一回廊と第二回廊の間はプリヤ・ポアン(千体仏の回廊)と呼ばれ、南北に経蔵が建ち、
十字回廊で繋がっている。プリヤ・ポアンには、信者から寄進された多くの仏像が供えられていたが、
クメール・ルージュにより破壊され、今は芝が生い茂っている。
十字回廊は4つの中庭を囲んでおり、かつて中庭は雨水を湛え、
参拝者はそこで身を清めたという。南には森本右近太夫一房の墨書が見られ、
「ここに仏四体を奉るものなり」とある。
第二回廊は東西115メートル、南北100メートルで、17段の石段を登り入る。
彫刻などは無く何体かの仏像が祀られている。そこを抜けると石畳の中庭に入り、
第三回廊と祠堂を見上げることとなる。
第三回廊は一辺60メートルで第二回廊より13メートル高く、急勾配の石段を登って入る。
四隅と中央には須弥山を模した祠堂がそびえ、本堂となる中央の祠堂は65メートルの高さを持つ。
かつて本堂にはヴィシュヌ神が祀られていたというが、
今は壁で埋められ四体の仏像が祀られている。
第三回廊に囲まれた4つの中庭は、かつては雨水を湛えていたというが、今は涸れている。
壁面には王宮の舞姫を模したという多くの女神が彫られ、参拝者の触れた痕が見られる。
連子窓から外を見ると、周囲の伽藍とカンボジアの森林が一望できる。
↑十字型テラスです。
↑欄干のナーガ像です。